※ 陸機vs盧志(ろし) 史実エピソードです。 ある日の宴で起きた事件。
一瞬で、座が凍りつくのがわかった。『午睡花 』
華やかな宴にも心を動かさないのか、
陸機はただ静かに酒を飲み交わしていた。
その姿が気に入らない、と盧志(ろし)は思った。
座の端でもなく、かといって中央にいるわけでもない。
なんとも中途半端なところで憂えているかのような態度。
まるで、ここにいる者全てを馬鹿にしているようだ。飲み交わす相手はたいてい、弟か、周囲の者たちばかり。
本来ならば同座にあることさえ気になるというのに。
陸機は敗戦国の降将にすぎない。
南方、呉の国では寵臣であっただろうが、ここでは違う。
少しは、愛想笑いでもして、酌をして回ったらいい。それならば
まだ可愛げがあるというのに。
――― 憂えて尚、天に見放されて尚、美しく咲き誇ろうとするそんな花なら折れてしまえ。
もう二度とその生意気な顔を見なくて済むように。
身の程を教えてやる。
少し鼻を明かしてやりたいだけだった。
衆人と交わることを良しとせず、自らを別格と位置付けている。
陸機の澄ました顔は「貴方たちとは違いますから」と、言っている
ように見えて仕方がない。重苦しい興奮が胸にのしかかる。
「陸機殿、飲んでいますか?」
座を離れて、技と陽気に近づけば怪訝な顔をされた。それでも一応、と言わんばかりに薄く笑んで「ええ」と頷く。冷たい
笑顔だ。
心などこもっていない。遊女であってももっと情を見せるだろうに。
「どうですか? この地の宴は。体に合いませんか?」「いえ? そうでもないですが、」
「酒は嫌いではないでしょう、ではもっと飲まれては?」
「・・・ええ、まあ。」
陸機の答えは素っ気ない。見ようによっては困っている風でもあるが。
生来寡黙、という訳でもないはずだ。
ということは、嫌われているのか。
陸機の態度はいっそう蘆志の胸の内を黒くさせた。
「そういえば、」
蘆志はぴん、と背筋を正すと、わざと周囲に聞こえるように
声を大きくして問いかけた。「陸機殿は呉の方でしたねえ?」
「そうですが、・・なにか? 」
よくないことを察したのか、陸機の声音が固くなる。
警戒した瞳が見上げてくる。
「呉には、陸遜・陸抗というものがありましたね。おや、姓が
同じだ。あれは、あなたの何に当たりますか? 」
くすり、と我知らず意地の悪い嘲笑が漏れた。
陸機の隣でその弟が、悲しげに肩を落としたのがほんのわずか、
眼の端に映った。
父祖を忌み名で呼ぶことは御法度と言ってもよいほどの無礼だ。
座興、としか言いようがない。
好奇の視線が陸機に向けられる。なんと答えるのか。それとも黙り
込んでしまうのか。
ああ、そういうことか。おざなりに陸機はそう言って立ち上がった。うっそりと、顔をあげると、盧志を真正面から見据えた。
「あなたの、」「なんです?」
嘆いているのか、怒っているのかさえ分からない。
差し込む光を全て吸収してしまいそうに凪いだ黒い瞳。いっそうつまらなそうに吐き捨てる。
「卿の盧毓(ろいく)や盧珽(ろはん)の関係と同じです。」
一瞬で、座が凍りつく。しかし、もう止められない。
「え・・・・」
「同じです。それが、なにか? 」
陸機は非礼を非礼で返した。くすり、聴衆から笑いが漏れた。
―――やられた。
からかおうとして、逆に恥をかかされてしまった。
もう答えることのできない蘆志はぼんやりと、この場でよくも
そんなに強気でいられるものだと
半ば感心した。
周りは北人だらけ。完全に状況は陸機の孤立無援。普通ならば
反感を買わぬよう大人しくするもの。
「そう、ですか。」
意気消沈して、盧志は黙り込んだ。
「下らない。」そう言うように開かれた陸機の口から、濡れた
犬歯が不機嫌に覗いた。決してどなり声ではない。だが、張り詰めて、叩きつけるよ
うに厳しい語調だった。
「兄上! 」
席を立った後で、雲は足早に歩いて行ってしまう兄を追い
かけた。
「なんだ? 」「なぜあのようなことを・・・あんな大勢の人の前で忌み名を
呼ぶなんて、」そんなことをしては、余計な敵を作ってしまう。
「あの人も国が違い遠く隔たっているので、よく知らなかった
のでしょう。どうしてあのようなことを言ったのですか? 」理解できない、と困ったように兄を問い詰める。
しかし、陸機は言い放った。
「馬鹿な。知らないはずがないだろう。我が父祖の名声は
天下に知れ渡っている。あの鬼子め、私たちを笑い物に
したかっただけだ!」「そ、そうでしょうか? でも、また鬼子などと・・」
当時、蘆志は幽霊の女の子だと噂されていた。
陸雲にしてみればこれも立派な悪口だと思うが・・。
「ともかく、馬鹿にされたままではいられまい? 」「そうですが、・・・。」
この異郷の地で、例えすべてのものを捨て去ったとしても、
それでも二人にとって誇りだけは失えないものだった。亡国の将と、蔑まれることも少なくない。
軽視、蔑視、好奇、同情、さまざまな視線を受ける。
耐えがたく、屈辱的で、放っておいてほしいと思うのに、逃げ出す
ことはできなかった。
その中で自分を失わぬようにと、支えてくれるのは――誇り。
「敵は、己に在りか。平和に生きようとしたら、私は私を殺さなけれ
ばならないな。私はこの性格だ、どうせ敵を作らずにはいられないよ。」ふと、寂しげに笑ってみせる。
「兄上、・・」
「いいさ、私にはお前がいてくれれば。」
雲は兄を特別に強い人ではないと思う。
ひたすら真っ直ぐに生きようともがいている。
それが間違いだというなら、ともに溺れていこう。そう、思った。
「雲は、兄上のお傍にいますよ。でも、敵は少ないほうがいいです、
雲がなんとかしましょう。」「そうか、」
―――― 眠れ、眠れ、午睡花また花開く、その時まで 闇を抱き、深く眠れ。
―― fin.――