『約束しよう』
一年に一度しか会えない恋人たち。
それは悲しいことなの?
ねえ、嬉しいはずなのに・・・
ここは地獄の一丁目だから。
赤い空は黒い涙を流す。腐った死体がどろどろと土になりかわり、ゆく者の足を
引き戻そうと掴んで纏わりつく。
いや、ゆく者などいないのだ。
ただひとり宛てもなく、さ迷い続ける無限地獄。
頭がい骨を踏み砕く。嫌な感触だ。
だが、それでも男は歩き続けなければならない。
「お侍さんどこ行きなさいます、」
頬被りした老人がどこからともなくやってきて問う。落ちた刀でも拾っているのだろうか。
それとも人ではないのか。
男が答えないでいると老人は首を傾げた。
「この先にはなぁんにもないですよ、」
その様子がどことなく猿のようでつい男は笑ってしまう。
「いや、この先に待つ人がいるんでな。」
行く手にあるのは一本の河だ。
濁った河。幅は広い、向こう側がかすかにぼやけている。
「ほお、お待ちの人が? 」
「ああ」
「おひとりで難儀でしょう、先の戦ではぐれてしまいましたかなぁ」
難儀だ、と老人は繰り返した。
男はからりと笑った。
「俺は人を殺し過ぎたからな、あの人はここにはいないだろう」
「はあ、さようで。お会いできるといいですな」
「ああ」
男が歩み出すと老人はもう何とも言わずにその大きな背を見送った。
濁った河。
流れが速いのか遅いのか、深いのか浅いのかさへ分からない。
河に近づくにつれ、辺りは濃い霧に包まれていく。
自分の足元さえよく見えぬほどだ。
そこへ鈴の音のような声がかかる。
『お会いしとうございますわ』
霧から手が這い出す。手首だけの女が手招きする。
『おや待っておりましたわ、さぁ』
『こちらへいらっしゃいな、』
『あらどちらへ?』
進むたびに違った声に会う。だが、男は歩みを止めなかった。
「悪いが俺が逢いたいのはあんたらじゃないんでね」
逢いたいのは一人だけなのだ。
どれほど歩いたか、とうとう男は会いたい人の背を見つけた。
河岸にたたずむ影。
華奢な、だが、どこか威風のある背。高く背筋を伸ばしたその人は疲れているようだ。
万感の思いを込めて呼ぶ。
「殿、・・・ここにいましたか、もうずいぶんと探しましたよ」
ふわり、と香る水蓮のような清香。
「左近か」
形のいい唇がわずかに動く。
男の名前。もう彼しか知らない。
振り返ったその人は泣きだしそうに、だが気が抜けたように笑った。
「遅かったな」
「殿がご無事なようで何より、」
「無事ではないさ、」
皮肉を言うのは相変わらず。だが彼は素直に男の胸に抱かれた。
その背に手を回して言う。
「左近、俺も探した・・・お前は気が付いたらいなかったから」
「ご苦労をかけてすみませんね、」
「まったくだバカ者・・・」
男は苦笑して、うとうとと、眠たそうな主人の柔らかな髪を梳いてやる。
前と変わらずに、別れたときと同じに、この人は美しい。
そのことがひどく嬉しい。
地獄に落ちてしまったから、逢えるのは一年にたった一度だけ。
「お前がいるならここも悪くはないな」
彼もまた、同じように河の向こうでさ迷い続けていたのだろうか。
それとも
「極楽浄土に行けましたかな、」
「さあな。まぁ行いがいい方ではなかったから、お前俺がそのようなところに行けると思うか? 」
くすり、と笑う。
あなたがいるところが地獄なら、
堕ちても構わない。
「・・・左近、また会えて嬉しい」
三成は瞼を閉じた。
逢えて嬉しいのに分かれるのが嫌だと、そればかり考えてしまう。
「殿、御心配召されるな」
「なぜ」
「この左近が殿を一時たりとも一人にはしませぬ。どのような時代になっても必ずあなたを探し出す」
「必ず、か」
いつかは全てを忘れて別々の生を受ける。果たして逢えるものか。
首を傾げる三成に左近は大きく頷いて見せた。
「約束しましょう、必ずこの俺が―――」
ぴぴっぴぴぴぴぃ・・・・
「あっ?! 」
けたたましいベルの音に三成は飛び起きた。
7:50分。
「は・・・ 」
なに? どこここ。 いや、自分のうちだ。
見慣れた天井。安い畳の寝室だ。
隣の布団はもう畳まれている。と、ベランダで洗濯物を干していた左近が戻ってきた。
「どうしたんです? まだ寝ぼけてるんですか、ぽかーんとして」
「え、いや、なんか・・・ヤな夢見た」
よく覚えてないんだけど。と呟く。
「それより起きてくださいよ、ちょうど朝飯の時間ですよ♪ 」
「ん、んん・・・左近、」
もぞもぞと起き出す。
「はい? 」
朝の左近は忙しそうだ。
まあ、三成が家事をしないせいなのだが。
「ん〜お前、俺と何か約束しなかったか? 」
「は? いや。とくにないと思いますけど」
「そうか、そうだよな。うん、なんでもない! 」
「あ、魚焦げる! 」
「朝はパンにしてくれって言ってるだろー」
「今日は米の日ですから! 」
胃がもたれる〜と、三成はまだ食べてもいないのに腹をさすっている。
さて、今日もまた忙しい、だけどなんでもない一日の始まり。
巡り逢う幸せを噛みしめて・・・ (7月6日 完。)