《 辞書・人物編 》
  五十音順ですよ。どんどん増えていく・・・みたいです。


あ行
  
♦ 歐陽建 おうようけん (?〜300
 
字は堅石。二十四友の一人。石崇の甥。


か行

♦ 賈謐  かひつ  (?〜300
  
字は長淵。 恵帝賈皇后の甥。賈皇后の妹、賈午の子であり祖父、充の
  後を継いで賈氏を継ぐ。
  甥である権威を振るっていたらしい。晋の文壇を代表する詩人たちを
  集めた二十四友のパトロン。


♦ 牽秀 けんしゅう (?)

  字は成叔。二十四友の一人。張華に召された。後に機の罪を證成(あかすこと)
することになる男。頴、これに機を斬らせる。とあるので陸機にとっては後に
自分の命を奪う者となる。彼と友に二十四友として過ごしていた日々はがどんな
ものだったかは分からない。



さ行


♦ 左思 さし (?〜?)

  字は太沖。 二十四友の一人。 寒門出身。訥弁で容姿は醜かった。
  しかし、その詩は「都の紙の値段を上げる」と言われるほど。


♦ 成公綏 せいこうせい (231273

  字は子安。賦家(文の形式)として有名。



♦ 成都王頴 せいとおうえい (275305

  司馬頴、字は章度。武帝の十六子。陸機が彼に仕えたのは晩年の302年から
303年までと非常に短い。
301年、倫の中尚朗だった機は禅譲文偽装の疑いをかけられ処断されかける。
しかし、そこを救ってくれたのが成都王と呉王であった。彼の奢らないとこ
ろに陸機は期待する。彼こそ晋を復興してくれるだろうと信じたが結局、彼に
よって誅されることになってしまう。

♦ 石崇 せきすう 249300

  字は季倫。二十四友の一人。傲慢奢侈と言われるほどに、高飛車で贅沢だった。
“金谷の集い”の主催者。(河陽県の梓澤別館)別荘に親しいものを招いてた。



♦ 載淵  さいえん (?)
  はじめ遊侠の暮らしをしていたが機に見いだされて後、征西将軍にまでなった。
  

た行


♦ 張華 ちょうか (232300

  字は茂先。范陽・方城出身。司空まで出世した。北人でありながら二陸のよき理解者
で、後ろ盾となってくれた。父的存在だったのではないだろうか? 
自身も有名な詩家であり、二陸の才能を見抜いていた。八王の乱に巻き込まれ没。



は行


♦ 蕃岳 はんがく (?〜300

  字は安仁。二十四友の首的存在。西晋文学を語る上で、彼と陸機は欠かせない。
また美男子で有名。友人(彼もまた美男子)の夏侯湛とは“連壁”と称されたほど。
妻の死を悼んだ「悼亡詩」が有名。賈謐と親しかったために彼が廃されたのち、孫秀
に讒訴され害された。



♦ 蕃尼 はんじ  (?)

  字は成叔。 岳の甥? 二十四友の一人。 北人であるが、二陸とも仲が良かった。
太子舎人から後、宛縣の令になった。穏やかな性格の人で雲と仲が良かったらしい。
両蕃二陸と称される秀才。陸機にあてた詩もある。 

♦ 孟玖 もうきゅう

  頴の寵臣。宦人。 玖は父を、邯鄲の令にしようと思っていたが成都王頴は、
これを雲に相談した。このとき雲は左司馬であった。雲はこれを「この縣(邯鄲)
では、公府の役人が令になるのだ。黄門の父だからと言ってなぜその任にすること
ができようか」と正論をもって退けてしまった。
猛玖はこれを深く恨み、のちに影響する遺恨となった。

♦ 孟超 もうちょう 

  頴の寵臣。玖の弟。 陸機の下に配置されたことを恨み、長沙王乂(がい)
との戦では、まったく機の命令を聞かず勝手に突進して死んだ。
また、戦も始まらぬうちに超の配下が略奪をしていた。
機はこの首謀者を捕らえる。しかし超は陸機の陣中に乗り込むと彼を奪い
返して、振り向きざまに「貴様に都督の能があるものか! 」と罵ったという。


♦ 羊祜 ようこ (221278

  字は叔子。西晋の都督荊州諸軍事南城の人。羊太博。
陸抗との関係は有名。酒や手紙のやり取りがあり、敵でありながら
友情関係にあった。



ら行


♦ 蘆志 ろし (?)

  成都王長史。機との軋轢は有名。「呉の陸遜、陸抗は君の何に
あたるのか? 」と蘆志。
忌み名を呼ぶことはとても失礼なこと。
陸機はそれに対して「卿の蘆毓(ろいく)や蘆珽(ろはん)の関係と同じです。」
と非礼で返す・・・。
当時、彼は鬼子という噂があった。
※これについては小説『午睡華』の元ネタにしています



♦ 陸晏 りくあん (?〜280

  字は不明。しかし、兄弟は「士○」で統一されていたと思われる。

  陸抗の長男。280年、王濬の軍に破れ呉の滅亡とともに没。
この時、ともに亡くなった次男の陸景は三十歳だった。ここから機より
11歳以上は年上だと思われる。



♦ 陸雲 りくうん  (262303

  字は士龍(竜とも)。江蘇省蘇州の人。陸遜の孫、陸抗の五男。
文弱にして愛すべし、とあるほど親しみやすい性格だったらしい。
笑い上戸で微笑ましいエピソードが多い。が、実直で上司にも臆すること
なく正言を述べるなど、頑固な面もある。
兄、機と並んで二陸と称される。 陸清河(内史)。



♦ 陸凱 りくがい (197267

  字は敬風。機にとってはおじ? 左丞相。



♦ 陸玩 りくがん (279342

  字は士搖。東晋の侍中、司空、大尉。従弟(いとこ)?



♦ 陸機  りくき  (261303

  字は士衡。陸抗の四男。華麗な対句表現を用いた長唄の形式が得意。
文学論「文の賦」は有名。
二十四友に数えられ、なにかと蕃岳と比較されることが多かった。
どちらかと言うと天才肌で張華に「普通の者は才能がなくて嘆くのに
陸機は逆に多すぎて嘆いている」と言わせたほど。
身長は七尺余り、声は割れ鐘のようだったとか。
同郷の士にも一目置かれていた。 陸平原(内史)。



♦ 陸玄 りくげん (?〜?)

  字は? 陸抗の三男。早くに病でなくなったらしい。


♦ 陸景 りくけい (251?〜280)
字は士仁。陸抗の次男。母は張氏とされ、彼も詩をよくしたらしい。
陸機と10歳差らしいが同母かは分からない。
兄とともに戦死。残念ながら彼の詩文は残されていない。 


♦ 陸抗 りくこう (226274

  字は幼節。陸遜の次男。陸機らの父。呉の名将であるが忠節を疑われ
たまま病没。
晋の羊祜とは手紙をやりとりするなど友好があった。
よきライバルであったといえるだろう。


♦ 陸耽 りくたん (?〜303

  字は? 陸抗の六男。おそらく末っ子。兄、機が失脚するとともに
彼も一生を終える。
兄とともに洛に赴いたものと思われる。同母かは不明だが、少なく
とも陸機より二歳以上十歳以下、歳が離れている? 
彼に関する資料は少ない。 平東将軍の祭酒。